やさいde
日本史クイズ

江戸時代になって
人気が急上昇した春の野菜といえば?

ヒントは、成長すると箸や串、かごやザルにもなる…アレです!

答えはイラストをクリック!

クイズの答え

旬の時期の短さに、江戸っ子は夢中になりました。

答えは、たけのこ。漢字にすると「筍」、竹かんむりに旬と書きます。これは、「旬(約10日)」の間に成長してしまう竹を意味しています。
季節になって自然と作物がとれるようになるのが「旬」、旬の一番最初が「初物」です。見栄っ張りの江戸っ子たちは、誰よりも早く旬のものを食べて、「初物は、味が違うねぇ」と言いたがっていたとか。あっという間に食べごろが過ぎてしまう、旬のたけのこは、江戸っ子たちにうってつけ!でも、江戸時代になるまで、たけのこは人気野菜ではなかったそうです。何故なんでしょう・・・ね?

江戸の人々をとりこにした新種

現在私たちが食べている筍は「孟宗竹(もうそうちく)」という種類で、中国から日本に渡ってきたのは江戸時代になってから。それまでは、固くて苦い、真竹(まだけ)などの在来種が食べられていました。
薩摩藩主・島津吉貴が中国から孟宗竹を輸入し、栽培に成功!これを将軍家に献上したことをきっかけに、全国に広まります。そして、今までに食べたことのない柔らかい食感に人気が高まり、江戸で大人気になります。

たけのこを江戸に広めた隠居と名物料理

隠居して現在の東京都目黒区に住んでいた商人・山路治郎兵衛勝孝は、薩摩藩の屋敷に呼ばれた時、孟宗竹を食べて美味しさに驚きます。そこで苗木を分けてもらい、自宅の周囲の農民たちに、たけのこ(孟宗竹)栽培を勧めました。そして、たけのこをもっと世に知らしめようと、治郎兵衛さんが考えた仕掛けが2つ!

(1)目立つようにたけのこを運搬

第一の仕掛けは、運搬用の馬に孟宗竹の入ったかごを背負わせ、街中を歩き回らせること。
通常のたけのことは違う形に、人々の注目が集まりました。

(2)観光客をターゲット!

当時、目黒不動は参拝客が集まる人気の観光スポットでした。その客を相手に、たけのこご飯を出す料亭を目黒不動の参道にオープン!あっと言う間に大人気になったそうです。



◆ ◇ ◆

現在の東京都目黒区・品川区は、有名人も多く住む住宅街ですが、大正時代に竹林が宅地化されるまでは、たけのこの名産地だったそうですよ。


Recipe Search お好みレシピを見つけよう!

カテゴリー検索

ジャンル 調理時間 カロリー
※1ヶ所だけの選択でも、3つの要素を組み合わせても
レシピを検索できます。

フリーワード検索
※全角のひらがな、カタカナ、漢字でご入力ください。